├─≠ョ─ヵラスとイバン・クルーズ

├─≠ョ─ヵラス 中越2ラン
├─≠ョ─ヵラス









├─≠ョ─ヵラス コレージオ・サンティアゴ高校、ジャクソンビル大学を経て、1989年のMLBドラフト28巡目でデトロイト・タイガースに指名され契約。1997年にニューヨーク・ヤンキースでメジャー初昇格。1999年にピッツバーグ・パイレーツに移籍。マイナーリーグでは1996年と1997年にヤンキース傘下(当時)のAAA級コロンバスで主軸として活躍するなどしたが、メジャーでは好成績を残すことはできなかった。
2001年に阪神タイガースに入団。当時打撃力が不足していた阪神のチーム事情から、「大砲」として期待されての入団であった。オープン戦では19試合で打率.385、7本塁打、14打点と好成績を残し、それまで度々外国人選手に裏切られてきた事情から、ファンやマスコミから「バースの再来」と騒がれた。
巨人との東京ドームでの開幕2戦目で、ダレル・メイからバックスクリーンに特大アーチを放つなど「今回こそは本物」と言われたものの、その後は低打率に喘ぐ。また、シーズン途中に左肩を負傷し、その後も試合に出場したものの状態は悪化。左肩関節唇損傷と診断され治療のため帰国し、同年オフに解雇された。
この年に放った14本の本塁打のうち7本は対巨人戦でのものだった。6月9日の対巨人戦(東京ドーム)でこの年一番の活躍とも言える1試合に3本の本塁打を放ったが、同じ試合で清原和博も3本の本塁打を放ち、なおかつチームは敗れたためあまり目立たなかった。
2002年はセントルイス・カージナルス傘下のAAA級メンフィスに所属し、メジャー昇格を果たす。
2003年に中日ドラゴンズに入団。2001年に所属した阪神と同様に打撃力不足に悩む中日でも「大砲」として期待された。2001年同様オープン戦では活躍するも開幕後は成績を残せず、オフに退団。