├─≠ョ─ヵラスとエリック・アルモンテ

├─≠ョ─ヵラス 初本塁打
├─≠ョ─ヵラス









├─≠ョ─ヵラス 1996年にニューヨーク・ヤンキースと契約。2001年、メジャー初昇格。2003年は主にデレク・ジーターの控えとして31試合に出場。同年オフに西武が松井稼頭央の後釜として獲得を目指したが、獲得には至らなかった。
2004年はコロラド・ロッキーズ傘下の3Aコロラドスプリングスで主力としてプレーし、翌2005年に2年契約で北海道日本ハムファイターズに入団。スカウトは3割2分、20本は打てると評価していた。
2005年シーズン開幕時はなんとか一軍に残り、選球眼の良さで四球を選ぶなど、出塁率は高かったものの、打撃は不振で、守備でも当時日本ハムGM高田繁が「(あの守備は)全然駄目」と嘆くほどお粗末な失策を連発し、5月5日には二軍降格。二軍では4番や1番を務めるなどして好成績を挙げたため、7月13日に再昇格した。以後は指名打者や代打での起用が主となったが、昇格後も成績が一向に向上せず、2年契約にもかかわらず、9月3日に同僚のブランドン・ナイトとともに戦力外通告を受け、退団。
2006年はアメリ独立リーグロングアイランド・ダックスで主力としてプレー。2007年〜2008年はデトロイト・タイガース傘下のマイナーリーグ(最高で3Aトレド)でプレーし、2009年はミルウォーキー・ブルワーズ傘下の3Aナッシュビルでプレーした。性格がよく、後輩の面倒見もよく、練習熱心であり、若手選手の見本になっていた。その存在は「外国人選手とは思えなかった」と他の日本人選手は言っていた。しかしシーズン当初から、遊撃手のレギュラーで、チームからの信頼も厚かった金子誠を二軍に落としてまで使うに値する選手なのかと疑問視されていた。
彼に使われた応援歌は専用に作られたマイナーメロディのものであった(なお、2005年の日本ハムの外国人打者は彼のほかに、フェルナンド・セギノールシャーマン・オバンドーがいたが、応援歌は全員マイナーメロディだった)。この応援歌のメロディは、歌詞の「アルモンテ」の部分がアウフタクトで8分音符前に出ているという工夫が凝らされていた。だが、実際に球場で演奏されると、そのアウフタクトが消えていた。これは応援団がメロディを間違って記憶してしまったために起こったもの。