江添建次郎

2003年ユニバーシアード優勝メンバーで、2005年に即戦力としてセレッソ大阪に入団する。 ルーキーイヤーの2005年シーズンは開幕スタメンを飾り周囲を期待させたが、第3節の大宮アルディージャ戦で右膝前十字靭帯断裂、全治8ヵ月の大怪我を負ってしまう。この年はチームが優勝争いをする中、自身はリハビリのため残り全試合を棒に振った。
2006年シーズンも当初はベンチ生活が続いたが、塚田雄二監督が就任してからは3バックのセンターとしてチームに欠かせない選手へと成長した。2009年も当初はスタメンとして起用されていたが、夏場以降はスタメンから外れている。
2010年はカターレ富山期限付き移籍。怪我のため開幕より離脱し、出場は10試合に留まった。9月の安間貴義監督就任後はボランチとして出場した。2011年には富山に完全移籍した。ディフェンスラインの統率力と鋭い読みを持つ頭脳派ディフェンダーで、インターセプトなどを得意とする。
またチームを牽引するリーダシップも持ち合わせており、セレッソ大阪での2007年シーズン以降はキャプテンの森島寛晃前田和哉が不在の場合、代わりにゲームキャプテンを務める試合も多かった。セレッソ大阪で同期入団の前田和哉(現モンテディオ山形)とは関西学生選抜時代からのチームメイトで、同じポジションのライバルという間柄だが非常に仲が良い。
かなりのイケメンのため女性ファンが非常に多く、セレッソ公式サポーターズブックで香川真司に「チーム一のモテ男」と言われた。
カターレ富山楚輪博監督(移籍当時)には、桃山学院大学時代にも指導を受けていた。