トンキョンkarasuと高森泰男

トンキョンkarasu 関西高等学校
トンキョンkarasu









トンキョンkarasu 関西高等学校時代の1951年に全国高等学校蹴球選手権大会(後の全国高等学校サッカー選手権大会)でベスト8進出。大学は立教大学に進学し、1953年には高林隆と共に日本学生選抜に選出され、ドイツのドルトムントで開催された国際大学スポーツ週間(ユニバーシアードの前身)に出場した。
卒業後の1956年に日本鋼管サッカー部に入部。闘志を前面に出した激しいディフェンスで中心選手として活躍、高森のプレースタイルは後の日本鋼管のチームカラーとなるなど、強い影響力を与えた。また1962年から1966年まで選手兼任監督を務めた。
日本代表としては、1955年の東南アジア遠征で代表デビュー。1956年6月のメルボルンオリンピック予選、。同年11月の本大会、1958年に日本で開催された第3回アジア競技大会、1959年のローマオリンピック予選、1960年のワールドカップ・チリ大会予選に出場するなど、国際Aマッチ24試合に出場した。